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2021.01.23 Saturday

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2011.01.29 Saturday

和歌山市東長町の家 住宅設計・監理2

基本設計中、スタディー模型の一発目です。
方向性は徐々に決まってきたのですが、形態や構造部分で思考中です。
まだまだ、スタディーが必要です。l







次回をお楽しみに!

2011.01.15 Saturday

和歌山市 店舗設計・監理2

去年6月から設計中だった和歌山市の店舗設計ですが、クライアント様の意向により事業の見直しとなり一時中断することが決定しました。
ほぼ実施設計も終了していたので残念ですが、再び事業再開となる事を祈っています。

2011.01.07 Friday

お正月休み

お正月休みに和歌山県下最大の島であり、本州最南端の紀伊大島に行ってきました。

↓ 写真は紀伊大島より本島を見た写真です。


大島には、トルコ記念館等がありトルコととても関係が深いようです。

明治23年9月16日、串本町大島樫野崎沖を航海していたトルコ巡洋艦のエルトゥールル号は、同海域で台風に遭遇、猛烈な波浪と強風のために航行の自由を失い、次第に樫野崎に寄せられ、古より船乗りたちにおそれられた船甲羅岩礁に激突しました。船体破損部から流入した海水が機関の爆発を引き起こし、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故となりました。
この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたりました。
エルトゥールル号の遭難は誠に痛ましい悲劇ではありましたが、日本の官民を挙げての救援活動はトルコ本国に伝えられ、トルコ国民の心の中に日本に対する親愛と感謝の念を根付かせるきっかけとなりました。

串本町では、エルトゥールル号の遭難以来、第2次世界大戦中には一時的に中断したものの、トルコ共和国との共催で5年ごとに慰霊の大祭を催し、現在に至っているそうです。

↓ トルコ軍艦遭難慰霊碑


↓ 慰霊碑の先にはトルコの人がお店を出していました。


↓ そのお店ではトルコアイスが売られています。粘りが凄かったです。

↓ 樫野埼灯台
(日本開国の後、各国からの要請で建設された日本最古の石造り灯台の一つで、英国人の設計による物だそうです)


↓ 紺碧の熊野灘の大パノラマを満喫出来ました。東には那智山系の山並みも!


リフレッシュしたところで、今年も一年頑張りたいと思います。

2011.01.01 Saturday

あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。
2011年は、設計に対しても何か新しい取り組みが出来るように頑張りたいと思います。
皆様、どうぞ今年もよろしくお願い致します。

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